〈hiking essay〉みちのく潮風セクション~三陸スラックパック旅(5)

宮城県の越喜来を中心にはじめてするスラックパック機構 楽なところもあるけれど、不便なところもある、それがロングディスタンスハイキングの愉悦

〈越喜来にて〉
今回は、宿泊装備を越喜来の「BARバ・ハウス」に置かせてもらい、アパラチアントレイル・ハイカーがすなるという「スラックパック」をしてみむとてするなり。
 スラックパックとは………宿泊拠点に荷物を置いたままで軽装で出発し、歩きおえてから、再びその日のスタート地点に戻って宿泊する歩き方を言う。もちろんバスや電車、送迎を使って先の地点まで最初に進み、宿泊拠点まで徒歩で戻って帰る、という方法でも良い。
スラック/slackとは「ゆるい/だらしない」という意味。なんと素敵な言葉でしょう。
楽ちんというか、「大人ってずるい」と中学生あたりが冷ややかな目で見る頭脳戦である。大供はずるいのだよ、子供たち。
〈越喜来→釜石〉
MCTのデータブックを見ると越喜来の「BARバ・ハウス」から釜石までは33km弱ある。荷物を持って歩くなら峠を三つも越えてゆくのでなかなかのハイキングだ。宿泊装備を持って歩くには長いだろうけれど、スラックパックならできそうだ。人間は楽する葦である。
ちなみに「BARバ・ハウス」とは、越喜来の三陸駅前に住むトレイルエンジェルの片山さんが大船渡町にあった「理容室ニュー清水」の仮設店舗を移設して、旅人が休んだり、近隣の方が交流する場として提供している。ここがあるだけで越喜来はハイカーウェルカムなタウンになっている。
 トレイルは「ど根性ポプラ」(津波に遭っても残った)が立つ公園を抜ける。神社のある斜面の急な階段を登りきると、驚くほどの太さを持つ杉が地面から屹立していた。大王杉だ。樹齢は屋久杉と同じくらいの七千年と聞く。凛とした空気に包まれている。ロープが張ってあり近づけなかった。
ふたたびトレイルに戻って、宅地を抜けると羅生峠に向かう林道にぶつかる。杉の濃く茂る林道は葉が落ち、ふかふかが心地よい。清涼な空気を肺に詰め替えるように深く息を吸い込む。地形に沿ってなだらかに登っていく。先人の道の付け方はお見事としか言えない。
〈吉浜〉
羅生峠から吉浜の海岸近くまで舗装路はほとんどなく、上手に砂利道や土の道を選んで進む。一般道は車も来るし、地図を見ながら歩かないと曲がるところを見逃しがちになるのでスマホや地図が手放せない。自然道はよそ見をしながら歩ける。幸せ。
山の南面では山桜が咲き始め、山から降りると染井吉野が満開であった。この後に気仙浜街道の山道があると思うと、少しばかり舗装されたアスファルトの上を歩くのも悪くない。
朝だったためかストアは開いておらず、吉浜駅近くの自動販売機で飲み物を補給する。きっと、山道でのどが乾くだろうからと、セルフトレイルマジックとしてソーダを用意する。
浜街道の林道は歩きやすいと思ったら、斜面が崩れたあとにマーカーだけ付けているところもある。まるで直登をしろと言われているみたいだ。丁寧にスイッチバックする。直登などしたら、雨が降れば踏み跡がすぐに川になり、山肌は削れ、あっという間に崩壊してゆく。
だめ直登、ぜったいだめ、である。
そんなところを過ぎて、旧街道に戻り出ると、すぐに沢に出た。渡渉だ、ばんざい。地図と見ると、すぐ下にはトンネルが走っているらしい。不思議。
鍬台の一里塚にはお昼ちょうどに着いた。峠周辺はなだらかな松林で、カルフォルニアを歩いている気持ちになる。小川もあり、平たい場所もあり、ハンモックなら泊まりたい放題、テントでも泊まれるに違いない。
一里塚の丸い小山が可愛らしい。マイルポスト脇にある松の枝ぶりは時代劇の峠シーンに出てきそうだもの。
峠からの下りは林道と山道が交互に現れる。吉浜側とは異なり、陽も良くあたるたおやかなトレイルが続いて嬉しい。先人の方々、素晴らしい道を作ってくれていますありがとうございます。
誰とも会わないと、安心して鼻歌もブロウできるというものだ。
最後の登山道を降りると、皆伐された禿山を横目に、重機の通ったであろう泥の道となった。開いた口が塞がらない。
〈唐丹(とうに)にて〉
唐丹駅前にあるジェネラルストア「ひまわり」さんでオヤツを買う。
外に出ると大きな猫がやってきた。近くに来るものの撫でさせてくれない。お店からひまわりのお母さんが出てきて、「懐かないのよぉ」と猫の話をしてくれた。震災のときからお店に来るようになって10年。猫好きの人が猫小屋を作ってくれ、手術の面倒も見てくれたという。
お店の前にはスズメも集まっていた。おかあさんがおにぎり4個分のご飯をあげていて、「稲刈りまでは餌を待ってお店の前で屯しているのよ」と微笑んでいた。ねこちゃんはスズメを尻目に日向ぼっこ。唐丹駅の前はすぐ海で、駅まで津波に流されてしまったのに、穏やかな陽射しに包まれていて、ついつい長居してしまう。
〈唐丹〜本郷〉
「本郷の桜」と地図上に見つけ、トレイルを外れてお花見に立ち寄る。桜並木の遊歩道にはベンチがある。ありがたい。腰を掛け、スナックを食べながらゆっくり休みを取ろう。眼の前には津波で洗われたであろう草地に作業場が点在している。集落からはお年寄りの柔らかな話し声が聴こえ、現場からは金物を叩くような音が鳴り響く。日常生活と非日常の建設現場がせめぎ合っている。
ひまわりさんで見つけたドーナツを頬張りながら、この先の地図を確かめる。思ったよりも距離はなさそうだ。釜石まで行けなくたって、手前の平田(へいた)駅で越喜来まで戻れば良いだけのこと。
荷物を背負ったハイキングならどこでも好きなところで泊まることができる。スラックパックよりも気楽に思える。スラックパックはどこかまでたどりつかねばならない。重さからは自由になれたが、時間や行程には縛り付けられ心の自由は少ないようだ。
国道を逸れて、気仙浜街道に入り、石塚峠に向かう。倒木あり、侵食あり、マーカーの不整備ありと、歴史的な道の割に荒れている。とても。悲しい。
杉の枝や葉が落ちているのは構わない。それは自然の姿だもの。
トレイルはメンテナンスし続けないと、すぐに侵食してゆく。これをワイルドやアドベンチャラスだと捉えるなら、想像力が豊かすぎる。これはただの破壊された環境だ。
街道として機能していた頃には、きちんと藩によってされていたはずだ。なにせ幕府の道なのだから。
土の道は保全が不可欠だ。放置すれば途端に壊れ始める。
大きく抉れた崩落箇所を通る。法面に露出した土壌は柔らかく、わたしの一歩がさらに山肌を傷つけていく。ハイカーの踏み跡も環境を壊す。当たり前のことだ。。このルートがわれわれは愚かな生き物だと思わせたいのなら大成功だ。
〈帰りましょう〉
釜石には6時過ぎについた。越喜来行きの三陸鉄道に飛び乗る。トンネルばかりの景色が過ぎると越喜来の集落にある「三陸駅」に着いた。23分。10時間ほど歩いてきたところを23分で戻っていく。すごろくだったら、かなりの痛手だ。距離の累積を楽しむ向きにはスラックパックは向かないし、ダイヤの薄い三陸鉄道に合わせて歩くのはかなりの不自由なのじゃないかしら。
〈二日目〉
〈越喜来のミューア〉
本日も晴れて気持ちが良い。朝の心地よい時間に、トレイルエンジェルの片山さんに夏虫山に連れて行ってもらった。以前は牧草地だった円やかな頂きはまるで、カルフォルニア・マルチネスにあるジョンミューアの家近くにある山のようだった。座って煙草を吸いながら越喜来湾を眺める姿はさしずめ越喜来のミューアである。
〈越喜来~綾里〉
BARば・ハウスに戻り、荷物を回収して綾里(りょうり)崎を目指す。22キロだから、あっという間に終わる筈。セクションハイキングとは言え、相馬から北上しているわたしには初めてのSOBO(南下)体験。南に向いて歩くとお日様が眩しい。向きを変えて歩くのはフリップフロップ気分で新鮮。
〈トレイルタウン〉
歩きはじめてすぐにお庭の手入れをしている奥さまに声を掛けられた。「椿の花が見頃だから見てらっしゃい」とお茶にお呼ばれ。今日は行程も短い。よし、お邪魔しよう。
桜や椿が咲くお庭からは海が見えた。なんと贅沢な。お接待に頂いたサイダーと干し柿が美味しい。奥さまと話していると、以前住んでいたところがわたしの住まいに近く、ひとしきり地元話で盛り上がってしまった。お庭には離れがあり、静かに使ってくれるならハイカーにも来てほしいと仰っていた。目印は、北上するNOBOなら越喜来の集落の手前でルート沿いから右手に見える桜の下にピクニックテーブルがある。きっとそこで休んでいれば声を掛けられるだろう。
越喜来にはBARば・ハウスもある。なんというトレイルエンジェルタウン。越喜来は一次産業が豊かな里山文化圏だ。ATを思い描いたベントン・マッカイの言う「鉄の文化圏が二次産業の街・釜石」にあたり、紙/情報(つまりお金)の街である大都市圏の属国ではない、豊かな文化圏が越喜来にあたる。トレイルタウンには様々な定義があり、様相があるが、マッカイの言に従えば、一次産業が守られ、土着の文化(都市圏のはじっこではない)を有する越喜来は理想に思える。
〈はじめてのみちのくハイカーと「試験に出ない英単語」〉
椿の奥さまに勧められた蛍の池でひと休みし、カエルの鳴き声を堪能してから、ふたたびトレイルに戻ると、正面から地図を眺めて居るハイカーに出会った。声を掛けると、盛岡から来られたそうで、ご主人は車を三陸駅まで回しているそう。サポートがいると便利ね。一人でこれをやろうとするとリープフロッグという方法があるが面倒。車をその日のゴールに運んで自転車などでスタート地点に戻り、ゴールで回収してから自転車を取りに戻る。アパラチアントレイルでは自転車ではなく、二台の車でやっている人も見かけた。キャンピングカーと小型自動車の二台で牽引するそうだ。
間違えられやすいのがフリップフロップ。フリップフロップ(Flip-flop)とは、ひとシーズンで歩き切るスルーハイクで使われる手法で、距離の短いセクションハイキングでは使われないワードだ。
例えば6カ月という長い期間に、積雪のある箇所から歩くのではなく、気候が穏やかなところから歩き、気温が上がった時点で高地や北部を歩くテクニックを差す。一か月半くらいで終わるみちのく潮風をスルーするなら、2月の八戸を避けてフリップフロップするより、相馬から北上して3月に北部に到着する方が楽だもの。
拠点を軸に荷物を置いて歩くのがスラックパックSlack pack。「試験に出ない英単語」でした。
〈綾里ビーチ〉
トレイルに縛られるのが嫌になり、少し道を外れて綾里ビーチに寄る。波音を聞きながらランチを取る。岩手と言えばコッペパン。
大学生くらいの女の子が二人、浜辺を散策していた。語り合うのにカフェなどいらない。羨ましい。ぐるりと半島を回って綾里駅に戻れば本日のスラックパックは終わりだ。
「歩いているのかぃ?」
バックパックを背負い歩き出そうとすると、軽トラックが止まり声をかけられた。「昨日も歩いていたでしょ? 釜石の方に行ったら、行きも帰りも見かけてさぁ」
「ああ、わたしです、わたしです。今日は広田半島を歩く予定です」
「そかぁ、クマが出るから気をつけてな。ここらへんのクマは人間を見たら逃げないで、襲ってくっからさ、あはは」
歩く人は地元の人から見れば、まだまだ異質な存在だ。誰かに見られているか分からない怖さと安心感を感じる。
それにしても襲ってくるクマは怖いなぁ、クマ。
トレイルに戻り、ひと気のない林道をずんずく進む。クマよけにスマホで音楽を掛けてみる。
90分ほど、ときおり現れる青い海に癒やされながら、徐々に高度を上げていく。不思議だ。岬に向かっているのに標高が上がっていくなんて。地図を睨むと、立石山は357mもある。ゼロメートルから上がるのだから、ずっと登りなはずだ。
岬には灯台もある。ちょっと行ってみたい気もするが、200m下りて200m登って、さらに150m登るのは、なんだか大変な気がしてきて、その代わり、見晴台の擬木ピクニックテーブルに寝転ぶ。綾里駅まで7キロ。電車は6:25分だっけか。大丈夫。
林道を外れて立石山まで山道となる。これが見事に楽しい。稜線に出るまではスイッチバックなどで高度を稼ぐが、稜線に出てしまえばこっちのものだ。緩やかなトレイルが展望台まで続く。なにより雑木林の森は葉が落ちていて日当たりも良いし、トレイルの崩落や侵食はほとんどない。稜線の真ん中を通らずに、すこし海側に引いているため、雨水は斜面に沿って流れトレイルが川にならないよう配慮されている。
擬木が埋められているのを見るにつけ、少し唸らないでもないけれど、昨日よりも気持ちよく歩ける。管理されている方、ありがとうございます。
ラストは再び赤土の現れた林道へ突入。好きねぇ、工事中。不毛地帯がカルフォルニアの山を思い出させた。アパラチアントレイルでは、パイプラインですら見せないように景観の保護運動が盛んなほどだが、みちのく潮風トレイルは生なましい傷跡を目にする機会が多い。100年ごとはいわず、一世代後には「美しい三陸の海」から『美しいトレイル』」に育ってほしい。
〈綾里〉
綾里の町に入り、防潮堤につけられた階段を登り、港を一望する。どちらかと言えば、わたしは「防潮堤に登る系」だ。港から街へと続く道路は工事をやっているが、綾里の町は少し高台にあり、目抜き通りには昔なじみの看板住宅の商店がちらほらと並んでいた。ネギを煮る香りが漂う夕暮れ時。昭和の趣きのある町並みを、夕暮れ時に歩くと、子供の頃を思い出す。
浜辺でのんびりできたし、見晴台で昼寝もできた。なによりトレイルエンジェルに出会えた。本日は申し分ない一日でした。
〈三日目〉
〈小友駅~広田半島〜碁石海岸〉
「小友駅よ、わたしは帰ってきた」とBRTから降りたのはわたしひとり。
前回は小友駅からトレイルを外れて国道を北に歩き大船渡市街に行ってしまった。今回は小友駅からスキップした広田半島をぐるりとまわり、碁石海岸ビジターセンターまでの30キロ弱ほどの道のり。
駅前にはトイレもあった。ナイス。
工事中の小友浦を抜ける。防潮堤もなんだか懐かしい。これがセクションハイキングの楽しみ。スルーハイクでは通り過ぎてしまう景色を振り返ることができまい。
広田湾から立ち上がる箱根山が凛々しい。そうだ、箱根山もスキップしていてわ。また涼しくなったらお会いしましょう。
〈広田半島ルートマップ〉
広田小学校6年生が作った「広田半島ルートマップ」を広げる。広田半島を歩きたいと思うにいたったのは、地元小学生が作った地図に出会えたからだ。地元の子どもたちが調べたみどころスポットや広田町の言い伝えが書いてある。
観光課が作る地図は、ともすれば買い物してもらうことに注力しすぎていて、胃袋とお財布がターゲットにされていて、わたしの知的な欲求は満たされず、膨れるのは胃袋ばかりで、財布ばかりがUL化の一途だ。地元の小学生が作るマップはシンプルで温もりのあり、地元への愛を深く感じる。
トレイルの価値のひとつがローカル/固有の土地との触れ合いだとすると、省庁が作った地図よりも市町村、市町村より地元の子どもたちが作る地図ほど良いはずだ。主語は小さい方が身の丈にあったものになる。
今日はほとんどロードの日。休憩スポットがほとんどなく、のんびりと歩く。強い日差しの中を歩いていると、なんだか沖縄の村を歩いている錯覚がしてくる。集落で自販機を見つけ、冷たい飲み物を買い求めた。座るところがないのが残念だ。
広田漁港へ向かう細い道を歩いていると、何かに見つめられている気がした。
右手にある理容室に目を向けると窓から猫がわたしを見ていた。近づくと四匹も猫がいる。みんな窓辺に坐ってぬくぬくしていたらしい。わたしに向けて「誰だおまえ?」とネコビームを放っていた。猫たちにとっても異質なわたし。
猫好きにはたまらないスポット。マップに書いてもらいたいものだわ。
絶賛ネコビーム
〈黒崎にて〉
黒崎仙侠につくとお昼前だった。環境省の地図にはレストランマークと温泉マークがついている。きっと、温泉施設に併設されたお土産屋さんで何か食料が買えるのだろう。今日は岩手名物「フクダのコッペパン」がある。温泉施設もグーグルマップを見ると一時休業となっていた。手前にある黒崎神社前には広いスペースがあった。シートを広げてお昼でも食べて、昼寝するにはもってこいだ。
黒崎温泉郷に近づくと幟がはためいていた。はて? あらためてホームページを見ると「本日より市外の方も利用できる」と書いてある。わたし会議の緊急招集。
「さあ、本日の議題は温泉に入るべきかいなか」
「本日から開くと言うなら、お呼ばれするのも運というもの」
「日頃の行いの賜物さ」
「夕方までに碁石海岸に着くことになってはいるが、なんとかなるよね」
「一番風呂でも浸かりに行くか」
「お昼時ということもあり、歩き通しで飽きてきたよ」
「温泉に入ってから、施設でお昼を食べようではないか」
よくまぁ、反対意見がでないものである。
施設が海に面しているからと、海を見ながらの露天風呂を期待していたが内風呂のみ。湯船に浸かれば大きな窓からは海が見えた。汗を流すというより、もはや垢を落とすほうが近い。
お風呂から上がって休憩所でソフトクリームを食べる。お昼時ということもあり、おばあさんたちがわいわいとお昼ご飯を食べていた。
「唐揚げがまだ来ないんだけどぉ」
「注文してないわよ」
「あらぁ、それじゃぁ、来ないわよねぇ、あはは」
実に楽しそう。
受付にあったちらしを見ると、各地域から曜日ごとに無料送迎バスも出ていた。本日はちょうど盛駅から。なーんだ、バスに乗ればよかった。1時半に盛行きの無料の帰りの便がある。なんと、帰りも歩かないですむ。理想のハイキングではないか。
〈広田半島後半〉
黒崎温泉からは松林の自然歩道「黒崎遊歩道」を歩く。ふふふ、土だぜ。
皮脂の取れたすべすべした肌で潮風を感じる。いままでの薄らぼやけた感覚は、目やにのついた眼で景色を見ているが如し。髪を下ろして、乾かしながら歩く。
アメリカンインディアンが髪を伸ばすのは感覚が研ぎ澄まされるからだと言う。電子、静電気なのか、長い髪がアンテナの役割を果たし直感が働くようだ。第二次世界大戦でもインディアン部隊が編成されたほどだ。残念ながら、戦争中での活躍はなかったらしい。みんな丸刈りにされてしまい、本領を発揮できなったのだ。好きな逸話だ。
一時間ほど誰にも会わずに自然歩道を堪能する。休憩スペースがなくて歩きどおしだったが、ハンモックであればどこでも昼寝ができるはず。宿泊のためのハンモックではなく、自前の移動ソファとしてハンモックは、みちのく潮風トレイルを快適なトレイルにしてくれるに違いない。
再びロードに出て広田小学校に向かう。下校の時間だというのに小学生の声は聞こえなかった(あとから聞いたら、始業式で早く終わったらしい。残念)。学校にかちこんでは、先生にハイカーについてとくと説いて差し上げようと思ったけれど、先が閊えているから今日のところは勘弁してやるぞ。それにお風呂上りで綺麗すぎてはハイカーらしくないものね。ハイカー失格だわ。
始業式で小学生たちに出会えず
 町とトレイルが近いと、いま一つ原始の姿になりきれないのがMCTの悩ましいところ。綺麗なままで終わってしまうんじゃないかしら。
再び、小友駅に戻る。スーパーで買い物。ここからは前回も歩いたルートだ。面白くもない国道を進む。箱根山が大きい。
宮城といえばコッペパン
〈スラックパック〉
ビジターセンターに着いたら、あとは越喜来に戻るだけ。三陸スラックパック旅もおしまい。まるで近所を散歩するように80キロほど歩いた。スラックパックは確かに楽だった。
町に近いところでは、大きなバックパックを背負ってうろつくより負担が少ない。スーパーのイートインコーナーを陣取って迷惑がられ、商店の軒先にバックパックを置いて慌てて買い物するより(それにトイレにバックパックを背負って出入りするのは大変なのよ)はストレスが少ない。
ただ、「今夜はどこに泊まろう」というわくわくが失われてしまうのは寂しい。おしりの時間が決められているのも落ち着かなかった。自由に歩くと言うより、行程をこなす感じがしてしまう。
スラックパックと言うのは、まっすぐに北上(南下)し続けるトレイルなら使いにくい手法だ。拠点からどんどん遠ざかってしまう。
半島をぐるりと歩いたり、三陸鉄道やBRTが並走していたりする、みちのく潮風トレイルならではの環境を楽しめる特有の文化になるかもしれない。
そう思うと、やみくもに荷物を背負って歩く「ピュアリスト」であり続けるのは、「理想のトレイル」を追い求めるがあまり、むしろ不自由なのではないか、と思えるから不思議だ。
釜石から先も、まだまだスラックパックが使えそうな「半島ぐるり」がある。
釜石市鵜住居駅から両石駅まで33km。鵜住居に泊まれるならちょうど良い。
山田町も岩手船越駅を起点/終点で半島めぐりが約33km。これもスラックパックなら一日で行けそう。
ハイカーに来てほしいビジターセンターやゲストハウスがあれば、ぜひお願いしたい。荷物を預けらればハイカーホイホイですよ。
それにしても、MCTデータブックが出たおかげで二点間の正確な距離を測れる。こういうタクティクスこそロングディスタンスハイキングの楽しみ。
次のセクションは釜石から。だんだんとディープ三陸に入って行くのが楽しみ。
おしまい